朝日新聞月刊誌『論座』1999年4月号掲載

「自治の神様」が残した膨大な負の遺産

ジャーナリスト  樺嶋秀吉

「苦しい時の神頼み」という。しかし、知事になった“神様”は自治体の財政運営を救うどころか破綻へと導いた。
“神様”は何をし、どんな評価を受けたか。財政再建団体への転落を瀬戸際で回避した岡山県をルポした。


 岡山県の前知事、長野士郎氏は「地方自治の神様」と呼ばれていた。旧内務省の出身で、自治省行政局長、財政局長を経て一九七一年九月に第七代の事務次官に就任した。歴代の自治事務次官には、前東京都知事の鈴木俊一氏や奥野誠亮元法相などそうそうたる実力者が名前を連ねている。

 その中にあって、長野氏を「神様」たらしめているのは『逐条地方自治法』という一冊の著書である。四十六年前に出版され、初版から長野氏が中心になって執筆、編集したこの逐条解釈本は、全国の都道府県、市区町村が実務をこなすうえでの手引き・虎の巻になっている。

 長野氏が自治省を退官し、岡山県知事になってからも、地方自治法が改正されるたびに版を重ね、自治体職員にとってはバイブル的な存在になっていると言っていい。だから、その産みの親である長野氏には、いつしか「神様」という尊称が与えられるようになったのである。

 歴代の自治事務次官は多くが知事、国会議員に転身しており、長野氏も在任十カ月余りで岡山知事選に担ぎ出された。相手は自民党公認で、自治省の後輩でもある現職の知事だった。省内ではタカ派との評判もあった長野氏だが、選挙戦では公明、民社、社会、共産の全野党ブリッジ共闘の革新候補として臨み、当選した。

 二期目からは自民党を与党に引き込んだ。のちに社会、共産両党とは袂を分かつものの、安定した政権基盤を築き上げ、その県政運営は六期二十四年の長きにわたる。「県土保全条例」を全国に先駆けて施行したほか「人間尊重、福祉優先」をキャッチフレーズに福祉、文化、教育、産業の複合都市「吉備高原都市」構想をまとめるなど一期目から独自色を発揮。単独事業を積極的に取り入れた地域の拠点開発も進めた。

 六選は当時の現職知事としては最多で、その六期目の途中から全国知事会の会長に就任した。この会長職には東京都知事が就くのが慣例になっていたが、長野氏は青島幸男知事を尻目に、鈴木前都知事からバトンタッチを受けた。まさに「神様」としての面目躍如だった。

ハコモノ行政に慣らされた議員

 ところが、九六年六月に長野氏が引退を表明した直後、県の財政部局が何年かぶりに行ったサマー・レビュー(夏の財政総点検)で県財政が厳しい状況に直面していることが明らかになった。県財政課OBが言う。

「長野知事はアイデアマンだっただけに、国の補助がつかなくても自分でよかれと思ったことは県の単独事業として進めていった。財源は起債でまかなったから、県の借金はどんどん増えていきました」

 その年の十月、長野氏の後継者として自民党の推薦を受けた建設官僚の石井正弘氏が、江田五月・元科学技術庁長官らを破って当選した。新知事はさっそく庁内にプロジェクトチームを作って「行財政改革基本方針」の策定に乗り出すが、この時点では新知事も担当部局も危機意識はそれほど強くなかったようだ。

 初めて迎えた十二月の定例議会で石井知事は、一年後に凍結が決まることになる吉備高原都市の後期計画や県立図書館の建設について次のように答弁しまだ積極的だった。

「(吉備高原都市は)都市機能の一層の向上を目指して段階的に整備を図っていきたい」「(県立図書館は)岡山県にとりまして不可欠の施設なので、私も早急に整備をしていかなければならないと考えております」

 危機意識の希薄さは、当時の議会の与党会派も同様だった。このとき代表質問に立った自民党県議は、県立図書館の建設費が財政状況の悪化で予算計上が見送られているのを承知で、建設催促を「陳情」しているのである。

 翌九七年度の県予算は当初予算としては戦後初めて前年度を下回った。この年の十二月定例議会での石井知事の答弁には悲壮感さえ漂ったが、自民党県議の代表質問は相変わらず陳情トーンの未練がましいものだった。

「凍結や休止される大規模事業の中には、われわれ議会側が地元住民や市町村と一体となって推進してきたものも多く、財政状況を口実にしてすべて再検討・凍結ということでは、私ども議会としては納得がいかない」

 地元向けのポーズもあっただろうが、ハコモノ行政に慣らされた議員の悲しい性を見る思いである。

 話が前後したが、プロジェクトチームは九七年二月に「県行財政改革基本方針」をまとめ、民間の有識者による諮問機関の設置を提言。四月に「県行財政改革懇談会」がスタートした。岡山県立大学の高橋克明学長を会長とし、県内の経済界、市町村長、農協、労働組合、福祉団体、マスメディアなど各界の代表二十一人が顔を揃え、実質的な答申案を審議する専門委員会も設けられた。

 岡山県の九六年度の起債制限比率は「危険水域」を超える一五・五%で、四十七都道府県中ワースト1だった。このままだと九九年度に、新たな地方債発行が許可されなくなる二〇%に迫る一九・九%に達するという試算も出た。家庭での預貯金にあたる財源調整基金も、九三年度末に五百六十二億円あったのに四分の一以下に減っていた。

 さらに深刻なのは歳入不足で、九八年度で三百八十一億円にのぼると試算された。岡山県の場合、歳入不足が百九十億円を上回ると財政再建団体に転落する。このため、専門委員会はなにより財政再建団体転落の回避に主眼を置き、起債制限比率を二〇%以下に抑えるため歳出面で大鉈が振るわれた。当面の対策として、九八年度にカットする歳出額を二百二十億円程度と弾き出した。

責任論は棚上げして議論は進んだ

 大鉈は大規模建設事業も例外とせず、前述の吉備高原都市後期計画(総事業費四百五十億円)は三年間凍結、美作・岡山道路建設(同九百億円)も三年間必要最小限に抑えこまれ、二十七の事業が廃止・凍結・工事費縮減あるいは再検討されることになった。

 専門委員会が起草した答申案は懇談会で了承され、石井知事に答申されたのが十月。答申はほぼそのままの形で十一月に「県行財政改革大綱」として県の公式な指針となり、九八年度予算はこの指針に沿って編成された。

 懇談会や専門委員会では、長野前知事の責任を問う意見も出た。

「税収の伸び悩みや経済対策のための公共事業負担増は全国が共通して抱える問題だ。岡山県だけが突出して悪化しているのは、明らかに前知事の政策そのものの特徴による」

「巨額の起債が首長の評価につながると聞いたが、その積み重ねの結果が現在の財政状況だ」

 こうした批判の多くは経済界から出されたが、県の職員も反発した。「定数を五年間で七%」減らすという、当時としては全国で最も厳しい削減計画を突きつけられたからである。しかし、専門委員会でも懇談会でも、長野前知事の責任問題は結局棚上げされたままで、議論は進められた。

 専門委員会の委員長を務めた岡山大学名誉教授の目瀬守男氏はその経緯を次のように語る。

「前知事の責任論を追究していたら、何年経っても話はまとまらない。血が吹き出ている患者を目の前にして『ケガの原因は何だ』と議論している余裕はなかった。われわれに与えられた課題は、県財政の収支を改善することだ」

 一方で目瀬氏は、長野前知事の責任について同情的だ。

「リーダにはもちろん責任がある。しかし自治体の財政危機は、様々な要因が複合している。県民から施設を造ってくれと要望されたら為政者としてやらざるを得ないムードもあったろうし、長野さん自身にも、中国・四国の結節点である岡山に先行投資をせねば、という思いがあったでしょう」

 長野氏自身はこうした批判をどう受け止めているのだろうか。残念ながら、今回取材には応じてもらえなかったが、懇談会が答申案をまとめた時期に朝日新聞の地方版(九七年十月二十五日付)に次のような感想を述べていた。

「(批判に対して)私は反論できない。その通りだもの。県がやらなくてよいことがたくさんあるんだ。しかし、市町村や経済界も今までなにもやらなかった。注文はつけても自分から『これだけはやります』とは一つも言わない。市町村は本来もっとやるべきだし、採算がとれそうな事業は民間が進んでやるべきだよ。ほかの県ではもっとやっている。岡山の人間はみんな評論家なんだけど、ぜんぜん実行しない評論家なんだよ」

神様じゃない、悪魔だ

 確かに、県内市町村の起債制限比率は九五年度からの三カ年平均で約一一%と低く、危険水域の一五%を超えているのは一町だけだ。県が二〇%になるのをなんとかくい止めようと四苦八苦しているのに比べたら、市町村はよほど健全財政を続けている。

 長野氏の反撃は、その地元市町村と経済界だけでなく、国にも向けられる。

「ここ数年、国から景気対策のため、公共事業をやってくれの連続だった。公共事業をやれば景気回復につながるという単純な発想で、借金はいくらしてもよろしい、全部借金でもいいという話まで横行した。結局、国の景気対策はことごとく見当はずれだった。国は目くそほどの補助金を出して、それでつべこべ言う」

 熱心な地方分権論者としても知られる長野氏の持論でもあろうが、自治体のトップとしての責任に頬かむりして、国にだけ責任を押しつけているように聞こえる。岡山県が財政再建団体に転落する一歩手前まで来た元凶は、なによりも県単独事業の大幅な増加にあるからだ。

 景気対策のための国の補助事業は九二年度以降、確かに増えてはいるが、それは多かれ少なかれ全国の自治体に共通するものだ。岡山県の場合、景気対策分を除いた国の補助事業はバブル景気をはさんだ八六年度から九六年度までの十年間に一・二倍の伸びだったのに対して、県単独事業は大規模事業(県負担額が十億円以上)が約三・五倍、それ以外でも約二・八倍という急増ぶりだった。

 いま全国の自治体はどこも財政難に悲鳴をあげている。東京、神奈川、大阪、福岡など大都市部の都府県は「財政非常事態」を宣言した。しかし、これらの都府県と岡山県が決定的に違うのは、その主たる原因が、大都市部が不況による法人関係税収の落ち込みという外的な要因なのに対して、岡山は単独事業の増加がもたらした借金苦という内的な要因にある点である。

 岡山県の九九年度予算案の一般会計は七九三九億円で、今年度とほぼ横ばいだ。ところが、九二年度以降急激に膨れ上がった県債残高は一兆円にのぼる。当然、借金の返済にあたる公債費も増え続け、それが財政を圧迫しているのだ。

 冒頭で長野前知事がアイデアマンゆえに借金が増えたという県OBのコメントを紹介したが、二十四年間にわたる長野県政を振り返ってみると、為政者としての資質に疑いを抱かせる事業も浮かんでくる。苫田ダムの建設問題とチボリ公園である。

 苫田ダムは鳥取県と接する奥津町を流れる吉井川に建設省が建設を計画している多目的ダムだが、建設構想が公表されてから四十年以上も地元住民と支援組織が反対運動を続けている。反対運動を支えている「ストップ・ザ・苫田ダムの会」代表の矢山有作元衆議院議員(社会党)は長野氏を次のように評する。

「あれほど緻密で計画的で狡猾に圧力を加えた知事は他の県にはいない。地方行政に通暁しているからできたわけだが、あれは自治の神様なんかじゃない。悪魔だ」

 矢山氏が指摘するその悪魔の所業とは、ダムに反対する奥津町の孤立化と町政への圧迫、そして反対派の切り崩しだった。

行政の初歩的なモラルさえ喪失

 奥津町は、もともと苫田村など三村がダム反対のために合併して誕生した町だ。歴代の町長は建設に抵抗してきたが、長野県政の二期目から急速に建設促進の動きが速まる。建設に賛成する下流域の十七市町による「ダム問題協力会」(後に吉井川水源地対策基金に改組)が結成され、まず奥津町の孤立化が図られた。

 さらに、奥津町も他町村の中山間地の例に漏れず、国や県からの補助金が頼りだったが、公共事業の補助金交付や起債の手続きが遅らされ、雪が降るころになってようやく許可が下りるという苛めのような「行政圧迫」を受けた。他方、水没地区の事業は「二重投資になる」との理由から、とごとく拒否された。

 そのころ町長だった岡田幹夫氏は県庁に呼ばれて長野氏と会った際に「奥津には奥津の事情がある。住民の話も聞いてほしい」と訴えたが、そのとたんに椅子から立ち上がった長野氏に「理屈を言うな」と怒鳴りつけられたという。岡田氏と、続く二人の町長は「行政圧迫」に耐えきれずに任期途中で相次いで辞任し、その次の町長がついにダム容認に転じた。

 一方、反対派住民の切り崩しには、下流域市町村も出資した吉井川水源地対策基金が使われた。七八年の年末に県職員が無利子の移転先選定資金として一戸当たり百万円を持って各戸を回り、その二年後には宅地取得資金として一世帯平均二千万円の貸し付けを始めた。さらに五年後には国の補償とは別に協力感謝金という名目で一世帯五百万円を交付することを決めた。

「札びらで頬を叩くようなやり方だった。現金収入の少ない山の中の農家にとって、目の前に現ナマを積まれると弱い。しまいには全戸に配布した広報誌で、早く賛成に回らないと協力感謝金が減額されると言い出した。行政上の初歩的なモラルさえ失っていた」(矢山氏)

 こうして約五百世帯あった水没地域の中で現在も反対を続けているのは一戸だけになっている。

 建設省のダム事業審議会も九六年六月「現時点で建設の是非にまで遡って議論を行うことは適切でない」として「事業推進」の答申を出した。審議委員はすべて知事が選び、諮問から答申まで開いた会議はわずか三回だった。

 その答申から三日後の定例県議会で、長野知事は引退を表明した。その日の記者会見で、長野氏は引退を決意した理由を聞かれ、胸を張って答えた。

「苫田ダムは私が知事になった当初からの大問題だった。それが決着したということ。およそ本県の難しい問題で大きなものはこなした」

チボリ公園に見るメンツと執念

 さらに同じ記者会見で印象に残る事業としてあげたのがチボリ公園だった。

「えらい目にあった。あれを発想したどこやらの市の百年事業がだいたいおかしなことだった。本当はそっちの方が責められるべきなんだ」

 長野氏が皮肉を込めて非難した「どこやらの市」というのは他でもない県都・岡山市のことだ。チボリ公園事業は当初、岡山市の市制百周年事業としてデンマークのチボリ公園を同市に誘致しようというものだった。ところが、県、市、地元経済界が誘致のために設立した第三セクターのずさんな経営が問題になり、当時の岡山市長が引責辞任。岡山市議会はこの問題で百条委員会を設置し、長野知事も二度証人喚問され、偽証容疑で告発されている(証拠不十分で不起訴)。

 九一年二月に行われた出直し市長選挙は、総事業費一千億円ともいわれたこの大型プロジェクトの是非が争点になり、「計画の再検討」を公約した安宅敬祐氏が、再出馬した前職を破って初当選した。安宅氏は公約どおり岡山市への誘致を拒み、長野知事はチボリ公園を倉敷市へ持っていった。当時、岡山市議会の百条委員会メンバーだった市議は「長野さんには、自分が前面に立って推進してきたメンツがあったのだろう」と振り返る。

 チボリ公園は九七年七月、JR倉敷駅前にオープンしたが、前年の知事選で安宅氏が現知事の石井氏の対立候補となった江田五月氏を応援したこともあって、長野氏と安宅氏の関係はすっかりこじれてしまった。安宅氏も自治官僚で、長野知事のもとで九年間にわたり総務部次長、農林部次長、地域振興部長などを歴任したあと自治省に戻ったが、在職中から二人はしっくりいってなかったとも言われている。

 今年一月の岡山市長選挙で安宅氏は民主党の推薦を受けて三選をめざしたが、自民、社民両党推薦の通産官僚、萩原誠司氏に敗れた。長野氏は政界を引退した身ではあったが、萩原氏の応援に奔走し、選挙期間中は自宅へは戻らずに岡山駅前の個人事務所に泊まり込むほどの熱の入れようだった。「打倒・安宅」のすさまじいまでの執念を感じさせるエピソードである。

 こうした長野氏の強引なまでの行政手法は苫田ダム、チボリ公園に限ったものではない。「六期二十四年間は長すぎた。長野県政も後半になると独善的になっていった」と指摘する声は県内外に多い。おそらく長野氏から石井氏へ知事の座が移らなければ、現在進められているような大胆な事業の見直しも不可能だっただろう。

 だからといって、長野氏の「後継者」である石井氏もまた、率先して大型プロジェクトを凍結することは難しかったはずだ。だからこそ、民間有識者に具体的な事業名まで提言させ、それをそのまま県の方針にするという、行政としては異例な手法を敢えて取ったのではないか。

多選知事は智恵が枯渇していく

 岡山県の隣の広島県で知事を三期十二年間務めたあと参議院に転じ、昨年夏に政界を引退した宮沢弘氏は知事の多選を戒める論文を朝日新聞(九七年六月二四日付)に寄稿している。その中で多選を禁止する理由としてあげているのは、知事が多くの許認可権を持つ権力の座であるということと、もう一つは自分の体験にもとづく次のような点だった。

「(知事は)毎朝の新聞の地方のニュースを精読することから仕事が始まる。県内で何が起こったか、県民は今何を望んでいるか、他の県に負けてはなるものかと新しいアイデアを求め、それを実施する道を模索する。しかし、人間の智恵や能力には限界がある。就任当時の新鮮な感覚は次第に鈍り、智恵は枯渇して、マンネリズムに陥らざるを得なくなる。十五年も二十年もの間、日々心新たに智恵が泉のようにわく人がいれば、よほどの天才であろう」

 宮沢氏は自治省では長野氏の二年後輩で、長野氏の二代あとの事務次官だった。かつては長野氏とともに『逐条地方自治』の編纂に携わったこともある。広島県知事になったのは、長野氏が岡山県の知事に就任した翌年だった。この寄稿文が「地方自治の神様」を念頭に置いて書かれたものだという確証はないが、きわめて示唆的な内容である。

 本稿は長野氏に対する個人攻撃が目的ではない。現在、岡山県が抱える莫大な負債は、長野氏個人のパーソナリティーに帰する部分がないわけではないが、その多くは県議会、市町村長、職員組合、政党、それに支持者など、長野長期政権を支え、あるいは独善的とされた県政運営を許してきたすべての人たちの責任である。

 それでも敢えて長野氏にスポットを当てたのは、「首長の責任」の重さを改めて問い直すためだ。地方分権が進んでいけば、その責任はいっそう増大する。そして自治体を変えるには、首長を変えるのが効果的であることも最後に付言しておきたい。長野氏から石井知事への交代を機に財政再建がいっきに進んだ岡山県が好例だ。それだけの力を首長は持っている。しかも選挙で議会の構成を変えるのに比べたら、首長を交代させる方が容易である。

 例えば、九五年の統一地方選挙で当選した東京都二十二区(葛飾区を除く)の議員の絶対得票率(有権者を分母にした得票率)は平均で〇・六七%だった。有権者千人のうち七人足らずから票を集めるだけで当選できたことになる。数十の定数に対して有権者は一票しか持っていないという選挙制度がもたらした結果だ。

 だから議員はいったん固定票をつかんでしまうと何度でも当選してしまうが、限りなく過半数に近い支持を集めなければならない首長は、そのときどきの有権者の意向で変えることが可能になる。優れた首長を選ぶには、有権者の判断力も問われていることは言うまでもない。